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「廣運舘活版所」再始動について

ヒストリー 「一冊の古書との出会い」

廣運舘活版所は、一冊の古書との出会いから「再始動」しました。135年の時を隔てて出会った偶然と必然。デジタル全盛の今、私たちは「綺麗」より「風合い」を、「均一」より「味わい」を目指します。そこに、「趣を印刷する」ために。

一冊の古書との出会い

パソコンで作ったデータがそのまま簡単、綺麗、安価に印刷できる世の中。
便利だ! 早い! が、何かおもしろくない。
それだけでいい?
「人の技」が見えない。

「人の技」を感じたい!

たとえば食器。
100円ショップに並ぶ、使用するには何の問題もない品々。
どこかの国で、機械的な作業を経て大量生産されている。
見えない、何も感じない。

かたや、備前焼の窯元が手作りしたお皿。
値札には、100円ショップの50倍を超える値段。
だけどそこには「人の手(技)」が、確かにある。
手になじみ、愛着がわく。
同じ料理を盛り付けても、「趣」が違う。

歳を重ねるにつれて、いろんなものにこだわるようになってきた・・・

印刷物は、このままでいいのだろうか?
そこに「趣」を表現することは、できないだろうか?
機械的に大量に刷るだけでなく、
「人の手(技)」によって「味わい」を加えられないだろうか?
手になじみ、愛着を持てる印刷物を作れないか?

そう考えていた時、一冊の古書「花の栞」に出会ったのです。

kohunkan kappansho  初代「廣運舘活版所」

「花の栞」は、印刷業を営んでいた父の遺品から出てきました。
明治時代に発刊された古書で、当時の全国各地の印刷所が粋を競った作品集とでもいうべき書です。
それにしてもなぜそんな書籍が田舎の印刷所に?

調べていくと、驚きの発見がありました。
弊社の前身「菊本印刷所」は昭和8年に祖父が創業しました。
しかし実際には、祖父の父である曾祖父にも印刷の経験があったのです。
つまり二代目とばかり思っていた父は、三代目だった・・・

では祖父の父、つまり曽祖父はどこで印刷の経験をつんだのか?
「花の栞」にそのヒントがありました。
書籍には、作品を提供した印刷所の一覧が記されています。
そこに見つけた「廣運舘活版所」の文字。

廣運舘活版所は、明治16年、柏原町(現在の丹波市柏原町)で
創業したと記録にあります(廃業年は不明)。
日本で活版印刷が本格的に行われるのは明治3年以降。
それから干支で一回りほどの頃です。

兵庫県中東部に位置する柏原町は、1598年から続く織田藩の城下町です。
明治維新後の廃藩置県を経て、行政機関の多くが集結していました。
それらのための印刷需要もあったことと思います。
古書「花の栞」に刷られた廣運舘活版所の作品から、
往時のにぎわいを想像します。

廣運舘活版所の作品が寄せられている古書「花の栞」が、
祖父が創業した印刷所に残されている。
とすれば、あるいは曽祖父は、廣運舘活版所で腕を磨いたのではないか。
もしかすると、「花の栞」に寄せられた作品の印刷に、
曽祖父が関わっていたかもしれない。

古書「花の栞」画像

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